すずめの戸締り
今日は新海誠監督の最新作「すずめの戸締り」を鑑賞した。
新海誠監督の作品を見るのは「君の名は」に続き2作品目だ。
(いわゆるミーハーなので…)
感想としてはとてもよかった。
何せ絵が綺麗。
それに劇中では主人公のすずめが日本各地を訪れるのだが、そのなかのひとつに神戸が入っていた。
私は大阪うまれの関西出身だ。大学生の時には兵庫県にある大学に通っていた。
なので神戸は思い出深い土地だ。
すずめが神戸に訪れた際に現地の人が話す「〜しとぉ」と言う神戸特有の話し方に懐かしさを覚えた。
新海誠監督の作品はなんというのだろう、人の心の綺麗な部分、真っ直ぐな思いをぶつけられる。
わかりにくい伏線等は存在しない。(もちろん作品は大変深くはあるが)
基本的には人の想いに突き動かされて全ての物語は進行していく。
そして想いの強さが、周りの人を動かし、最終的に主人公は目的を達成する。
そこには男女の恋愛や互いを想い合う気持ちの強さ等が描かれている。
だが、いわゆる恋愛系のハッピーエンドと一線を画すのは「二人は結ばれてこの先も幸せに過ごしました」的なよくあるフィナーレではない。
むしろ、想い合う二人は試練の先に再会を果たすが、そこから一緒にいることはほとんどない。
その再会する一瞬、その瞬間にすべてが詰まっているのである。
これが私たち鑑賞者の心に響いてくるのではないだろうかと私は感じている。
今この瞬間を生きること、再会するために全てを尽くすこと。
ただ、現実でそのように生きるのはとても難しいことだと思う。
まず、今この瞬間を全力で生きるのが難しくなっている。
それはSNSの発展によって今この瞬間に生きられる世界線が多すぎるからではないだろうかと考えられる。
目の前のご飯を食べることより、その先の不特定多数に発信することが優先されてはいないだろうか。
そして、会いたい人がいたら会いに行くことが意外と難しい。
物理的な距離感も心理的な距離感もある。
家族、恋人、友人。会いに行きたいと考えた時に会いに行けたらどれだけ素晴らしいだろうか。
しかしそこには、相手の感情も入ってくる。
相手が会いたいと思っていなければ、それは一方的な自分のわがままになりかねない。
人の時間が有限だからである。
それでも会いたい人に会いに行くことは大事なのだろうと感じる。
ある意味、それもまた、人の時間が有限であることに起因している。
有限なのである。いつでも会えるわけではない。
私にももう一度会いたいなぁと考える人はいる。
ゆっくり話をしたいなぁと考える人がいる。
また、いつか。なんて思っていたらその日は来ないのだろうか。
どうなんだろう。
そんなモヤモヤとした想いを一切感じさせない新海ワールドのヒロインは、私たちの心に真っ直ぐ突き刺さるのである。
数回、涙を流した。
現実世界で難しいことはたくさんあると思う。
が、少しでもすずめの真っ直ぐさを素直に感じたいと思う。