雪
konbanha(wa??)
家を出るのが億劫になるくらい寒くなってきた。
なんでも新潟では歴史的な積雪によって車内での立ち往生を余儀なくされている人が大勢いるようだ。
雪がバケモノのように感じるだろう。
と思えば、太平洋側や西の地域ではあまり雪は降らないので、もしも積もりでもすれば、大人でもテンションが上がらないわけにはいかない。
住む地域によってこれほどまでに感覚が異なるのは当たり前ではあるが不思議にも感じる。
これをより一層広い範囲での話にすると国と国の文化の違いとなってくるのだろうか。
と文化の話を書こうかとも思ったが、小難しい内容を書く気分ではないのでやめておこうと思う。
というのも、最近は仕事に追われてしまっている。
がために日記の更新も遅れてしまった。
という言い訳でしかないが。
「雪」に紐付けると、年末という山の頂上目指して登山しているにも関わらず、業務という名の雪崩に何度も押し戻されている。
仕事で悩んでいる。
しんどい、辞めたい。
というわけではない。
しかし、悩んでいるのは事実だ。
では何で悩んでいるのか。
残業??
NO
叱責??
NO
はたまた人間関係??
NO…?(少なからずある?)
いや、一番大きな要因は確実に「わからない」ということである。
そして考え、答えを出し、その上で最適な人員を巻き込み、案件を進めるということが出来ていない自分にひどく腹が立つ。
そもそも知識が足りていないことが実力不足に直結している。
それは火を見るよりも明らかなのだ。
専門知識、それを社内での実務に紐付ける方法、その上で社内処理を回す方法。
どれに関してもそもそも知識が足りない。
結果的にいちいち調べるハメになるが、そうすると次は時間がいくらあっても足りない。
であれば先輩に聞くか?
否、ある程度、課題に対する、根拠、仮定を以ってして、初めて先輩に聞くという土俵に上がれる気がする。
これはそうすることが美徳であるからとかではなく、結局、質問に質問で返されて「調べます」で終わってしまうからである。
なのであらゆる処理、手段を想定した上で、個人的にベストだと思われる球を選択し、投げるべきなのである。
かと言って、いつまでも調べていられるわけでもない。
(昨今はM&A関連で期日が近い審議内容がボコボコ落ちてくる。)
自分の中であるラインを決め、それ以上、かけていられる時間はない。
関係各所にボールを投げながら、意思決定者のストライクゾーンに投げるボールの練度を極限まであげて投げる。
それでも打ち返されれば仕方ない。
そういう時はとりあえずカカオ75%のチョコレートでも食べてみる。
「あー、無理だぁぁぇ」
とか思いながら笑
でも不思議なもので、必死にやっていると周りの人が助けてくれる。
本当にありがたい。
自分には頼りにさせてもらっている人がたくさんいる。
そういった経験から、自分も頼られた時には、どれだけ忙しくても、取り得る最善の策で答えられるようには努力している。
年次が上がり、与えられる仕事の質も一気に上がり(うちの会社はあまり年次関係なく仕事が降ってくる)わからないことばかり、壁を登っても落とされてばかりだが、周りの人にたくさん迷惑をかけながらももがいてみようと思う。
変態なのかもしれないが、任せられるのはやはり気持ちいいものなのだ。
それに、どれだけ厳し九ともその期待には応えたい。
「こいつに頼めばなんだかんだ押し進めてくれる。」
こんな風に思ってもらえるように邁進していこう。
そして、そんな日々に忙殺されながらもしっかりと自分のキャリア、生きたい人生、ライフスタイルは突き詰めつつ、求め続けていこうと思う。
きっと数年後思うだろう。
「あの数年があったからこそ私は今、ここにいると。」
偉そうなことを書いたが直感でそうなる気がするんだ。
そして、僕の直感はほとんどハズレない。
ファイト一発。
人間関係
皆さんにとってあまり好みでない人はいるだろうか。
それは異性、同性問わず。
私は正直いる。
そういった人物と出会った時の対応の仕方は3パターンだと考えている。
①あまり好まないが仲良くする。
②好まないということを全面的に出して全く仲良くしない。
③そもそも関わらない。
どれが一番良いのだろうか。
世間一般的な価値観では①が一番好まれるのではないだろうか。
好き、嫌いの好みに左右されず、それなりな関係を築くことの出来るスキルは社会全般において重宝されるだろう。
ただ一方で、人生を長い目で見たときに、そのような関係に気を配っている時間は無駄ではないだろうか。
もちろん、付き合っていく中でわかりあえることもあるのかもしれない。
ただ、私の経験上、直感的に合わないと感じた人とそれ以上仲良くなるケースは珍しい気がする。
(ものを買うときに、色々と見ても結局一番はじめに気に入ったものを好きになるのと似ている)
とは言えども、自身の見聞、人間としての深みといった部分では様々な価値観の人と関わった方が良いのではないかと思う。
結局、この問いに答えはないのだけれど、私はとりあえず合うか合わないか(たとえ直感的に合わないとしても)わからない状態でも付き合いをしてみるべきだと思う。
これは、大元の根拠として、そもそも合う、合わないを定めている価値観そのものが凝り固まったものである可能性が高いからである。
人は気付かないうちに自分の主観によって支配されている。
ような気がする。。。
それを打開、広げてくれるのは紛れもない他者でしかない気がするからこそ、あまり選り好みせずに付き合ってみるべきだと考える。
確かに時間の無駄にはなるかもしれない。
ただ一方で、新たな扉がひらけばそれは大きな財産となる。
人との関わり方は、それこそ千差万別である。
その人のしたいように、価値観に沿って生きればいい。
ただ、私は「合わない」といった感情だけで、その人間関係を断ち切ってしまうのは勿体のないことだと考える。
少なくとも、なぜ合わないのかというところまでは考えた方がいいと思う。
回り回って、それは自己理解につながるからだ。
とは言っても、本当にそんなことすら考えることなく関係を持たなくても良いひともいる。
人の悪口が多い人。
ネガティヴな人。(変えがたい…)
人を見下す人。
要するに自分にマイナスの影響を与える人とは関わる必要がない。
ただそれも、ある程度付き合ってみないとわからないのかもしれない。
人間関係とはつくづく、煩わしく、そして面白い、趣き深いものである。
この文書にはあえて結論はない。
それぞれ思うこと、考えることを共有してくれたら幸いだ。
FIFAワールドカップ
今日はサッカー日本代表の決勝リーグが日本時間深夜0時に控えている。
目標であるベスト8をかけた大一番だ。
相手はクロアチア。
最新のFIFAランキングは12位だ。
ちなみに日本が予選リーグでジャイアントキリングを果たしたスペインは7位、ドイツはクロアチアよりひとつ高い11位だ。
周知の通り、このようなランキングは多少の判断材料にはなるが、ワールドカップに出場している国においてはあまり意味をなさないことは日本が証明している。
今回のスポーツは特に大番狂わせが多い気がする。
私も小学生の頃から高校3年まで、バスケットボールをしていた。
なのでまがいなりにもスポーツにおいてメンタル、勢いがいかに重要かはわかる。
それは時に圧倒的な技術の差をも跳ね除ける。
強者に向かって、弱者の牙が襲いかかり、止められないうねりとなって押し寄せる。
それに飲まれたら最後、会場も敵となり知らぬ間に蟻地獄の中にハマっている。
それがスポーツにおける勢い、流れ、風と称されるものである。
スポーツをやっていない人でも高校野球を見たことがある人ならば感じたことはないだろうか。
画面越しにも伝わってくる覇気、それをさらに盛り上げるブラスバンド、ジリジリと照りつける太陽。
高校生活の血も滲むような努力と努力がぶつかり合う。
9回から逆転なんて起こることも珍しくない。それも少しの綻びから崩れていくのである。
少々、懐かしさも含めて、スポーツの雰囲気について描きすぎた。
何はともあれ、私の応援があろうがなかろうが全力を尽くして、日本代表は勝利してくれるであろう。
がんばれ!日本!
同級生
東京に出てきて1年と8ヶ月が経とうとしている。
そんな私よりも先に東京に出てきて、美容師として働いている高校の同級生に、私は髪のお世話をしてもらっている。
彼はすごい。
どういう風にする??とお馴染みの美容師さんの台詞から始まるのだが、私が伝えたかった理想の3割を言えば、ほとんど全てを理解してくれその通りの髪型にしてくれる。
まさに魔法使いだ。
「それはあれだね、昔からの付き合いの賜物だね!!いい友達だね!!」
と思った読者の方もいるかもしれない。
だが、事実はそうではない。
高校時代、私は彼とほとんど話をしたことがない。
というよりむしろ私は彼があまり好きではなかった。
当時の彼はナヨナヨしている印象で、あまり個人的に仲良くなりたいと思わないような人物であった。
顔は非常に整っており、俳優のような美青年である。
決して嫉妬なんてしていたわけではない!と自分では思っているのだが…
いや、ほんとにしていなかったはずだ笑
と、まぁ彼と親しくなかったのは事実なのである。
それを示すかのように、東京に出てきて1年は彼に髪のお世話をお願いしていなかった。
近所の美容室に通っていた。
今年の春に同級生が結婚し、呼ばれて参列した式に彼も同席しており、そこで高校振りに再会したのだ。
だが、この時も私の彼に対する印象はあまり良くなく「生粋の女好き」といったような感じであった。
そして数週間後にたまたま呼ばれた高校の同級生との宴席にて、また彼とお会いし、そしてそこで(最初はあまり気乗りしなかったのが本音だが)彼からお誘いをいただき、髪を一度切ってもらうことになった。
私としては低価格で切れるからラッキー程度にしか考えていなかった。
けれど美容師としての彼を見て、今までの私の彼に対する印象が180度変わった。
彼は真剣に、かつ自分の職業を楽しんでいた。
それは技術からも、彼の姿勢からも、周りの同僚からの反応でもわかった。
そして彼との会話の中で、軽い言葉のようでしっかりと自分の基準を持って話していることも伝わってきた。
今は彼に表面上だけの印象で決めつけていたことを謝りたい。
そしていつもありがとうと感謝したい。
彼とは後日、昨日公開した映画「スラムダンク」を一緒に鑑賞しにいく予定だ。
楽しんで仕事をしている男はかっこいい。
明日から月曜日が始まる。
さぁ一週間、張り切っていこう。
すずめの戸締り
今日は新海誠監督の最新作「すずめの戸締り」を鑑賞した。
新海誠監督の作品を見るのは「君の名は」に続き2作品目だ。
(いわゆるミーハーなので…)
感想としてはとてもよかった。
何せ絵が綺麗。
それに劇中では主人公のすずめが日本各地を訪れるのだが、そのなかのひとつに神戸が入っていた。
私は大阪うまれの関西出身だ。大学生の時には兵庫県にある大学に通っていた。
なので神戸は思い出深い土地だ。
すずめが神戸に訪れた際に現地の人が話す「〜しとぉ」と言う神戸特有の話し方に懐かしさを覚えた。
新海誠監督の作品はなんというのだろう、人の心の綺麗な部分、真っ直ぐな思いをぶつけられる。
わかりにくい伏線等は存在しない。(もちろん作品は大変深くはあるが)
基本的には人の想いに突き動かされて全ての物語は進行していく。
そして想いの強さが、周りの人を動かし、最終的に主人公は目的を達成する。
そこには男女の恋愛や互いを想い合う気持ちの強さ等が描かれている。
だが、いわゆる恋愛系のハッピーエンドと一線を画すのは「二人は結ばれてこの先も幸せに過ごしました」的なよくあるフィナーレではない。
むしろ、想い合う二人は試練の先に再会を果たすが、そこから一緒にいることはほとんどない。
その再会する一瞬、その瞬間にすべてが詰まっているのである。
これが私たち鑑賞者の心に響いてくるのではないだろうかと私は感じている。
今この瞬間を生きること、再会するために全てを尽くすこと。
ただ、現実でそのように生きるのはとても難しいことだと思う。
まず、今この瞬間を全力で生きるのが難しくなっている。
それはSNSの発展によって今この瞬間に生きられる世界線が多すぎるからではないだろうかと考えられる。
目の前のご飯を食べることより、その先の不特定多数に発信することが優先されてはいないだろうか。
そして、会いたい人がいたら会いに行くことが意外と難しい。
物理的な距離感も心理的な距離感もある。
家族、恋人、友人。会いに行きたいと考えた時に会いに行けたらどれだけ素晴らしいだろうか。
しかしそこには、相手の感情も入ってくる。
相手が会いたいと思っていなければ、それは一方的な自分のわがままになりかねない。
人の時間が有限だからである。
それでも会いたい人に会いに行くことは大事なのだろうと感じる。
ある意味、それもまた、人の時間が有限であることに起因している。
有限なのである。いつでも会えるわけではない。
私にももう一度会いたいなぁと考える人はいる。
ゆっくり話をしたいなぁと考える人がいる。
また、いつか。なんて思っていたらその日は来ないのだろうか。
どうなんだろう。
そんなモヤモヤとした想いを一切感じさせない新海ワールドのヒロインは、私たちの心に真っ直ぐ突き刺さるのである。
数回、涙を流した。
現実世界で難しいことはたくさんあると思う。
が、少しでもすずめの真っ直ぐさを素直に感じたいと思う。
継続力
継続することの難しさをひしひしと身に染みて感じている。
大きなことをやり遂げている人全員が何かを継続してやり続けて、大きな結果を産み出している。
言うまでもなく、私たちが目にするのは何かをやり遂げている人たちの「結果」であり「過程」ではない。
もちろん売れてない時代からアイドルを応援していたり、2軍時代のスポーツ選手等は過程にあるのかもしれない。
ただ一方で、そういった人たちが売れたり、1軍に上がればそれはもう過程ではなく結果なのかは彼らのみぞ知ることとなるのだ。
と言うよりは彼らが勝手に定めることなのである。
それは目標が存在するからである。
そこに至るまでの道筋はすべて過程と称される。
つまり継続することに対して、何かそれをするための目標がなければ、それやり続けるには現代はあまりに誘惑が多すぎる。
だからこそ何より目標を持つことが大事なのではないかと思う。
もちろん趣味で行っており、好きな時に好きなことをするだけであれば目標はいらないと考える。
けれどもそれさえもある程度の目標を持つことが充足感にも繋がるのではないだろうか。
故に途中で心が折れてしまわないためにも、まずははっきりと自身の目標を定め、それに向かって努力したいと考える。
12月
今日から12月。
今日から全国的に寒さも厳しくなり、本格的に「冬」の幕開けだ。
ブラックフライデーが終わり、今年の流行語大賞が発表され、M-1グランプリの決勝進出者も定まり、いよいよ2022年がその幕を閉じ、確実に2023年の足音が近づいてきている。
3週間後にはクリスマスが迫り街はイルミネーションで彩られ、どこを歩いてもイベント気分になれる。
さらに、社会人には会社から「冬のボーナス」というちょっぴり早めのクリスマスプレゼントが会社から送られるのではないだろうか。
一般職として務める同僚との会話の中ではブランド物のバックが欲しいと笑顔を滲ませていた。なんでも女性もののバックはすぐに売り切れるため「買い」だと思ったら迷わず購入するのが重要らしい。
(筆者は最近大きい買い物を2つしたのでステイである。)
そんなこんなでイベント続きの年末だが明るい話ばかりではない。
慢性的な電力の需給逼迫を受けて政府は電力の省エネを民間人に依頼し、電力関連では大手電力3社がカルテルを形成して独禁法に違反したことから1,000億円の賠償請求をされている。
今年の2月に端を発したロシアによるウクライナ侵攻は長期戦となり出口が見えていない。
国内では旧統一教会問題で与野党が舌戦を繰り広げる一方で、防衛費積み増しによる財源難にも喘いでいる。なんでも国の国債残高は発行できる限界を超え始めたようだ。
将来の世代に負担を強いることになる国債発行は乱発すべきではないが、税額の増額は間接的に中間層に大打撃を与え、GDPをより下振れさせる要因にもなりかねない。
新型コロナウイルスも第8波に入ったと言われているが、使用期間を過ぎたワクチンは廃棄されているのが現状である。
といったようにキラキラした年末のヴェールの裏にはしっかりと問題が山積している。
特に今年に入ってから起きている国内外の動きは直接一般市民に影響の出るものが多かったと思われる。
急速な円安化による物価上昇がわかりやすい例である。
政府には本質的な議論を進めて欲しいと心底思う。
「私、考えてます。」と上司にアピールするようなパフォーマンスを霞が関で披露するのはくれぐれもやめていただきたい。
個人的にも問題は山積している。
ひとつひとつとしっかりと向き合わなければならないと直感が私に命じているような気がしてならない。
家の大掃除もそうだが、気持ち、考えの大掃除も進めていかなければならない。
捨てるべきもの、持っておくべきもの、まだ決めきれないもの。
たくさんある。
自分と向き合うというのは大変難しいものだとつくづく思う。
どうして日本の教育はもっと生きて行く上で実用的なノウハウを教えてくれなかったのだろう。
(そもそもそんなものは人から習うべきではないという声が聞こえてくる…)
そういった年齢にもなったものだとも感じる。
そしてこの状態を一概に嫌っているわけでもない。楽しんでいるかのような自分もいる。
キラキラしたヴェールを被る必要はないと思っている。
問題も感情も、それ全てが自分自身を構成するものだと思っている。
そうやって一つの軸、考え方を形成していけるのではないだろうかと考えている。
2022年の師走。
2022年の締めくくりをしていくと同時に2023年のためのウォーミングアップのような1ヶ月とすることができれば上々の出来だろう。
前のめりで走り抜けたい。
一緒に頑張ろう。