プライド

(文章の書き方に統一感がないなぁ、、、と、書き終えた後に気がつきました。まぁ、良いかと言った感じです。)

 

プライドが曲げられないとかそんな使い方されますが、そもそも曲げる、曲げないとかで議論されるものなんですかね。
わかんないです。

プライドって多分考え方のことなんですよね。
自分の考え方を変えようとしない、悪く言えば意固地になってるみたいなこと。良く言えばこだわりが強い。
そしてそんな性質を持っている人をきっとプライドが高いって言うんですかね。
僕はそんな気がします。

では冒頭に書いたように、プライドを考え方に言い換えると「考え方を曲げる、曲げない」と言うことになります。
なんだか違和感が残ります。
だからプライド自身も曲げる、曲げないで議論するわけではないと思うんです。

詰まるところ「自分の考え方を曲られない」ではなく「人の考え方を受け入れられない」という風に考えた方がわかりやすいかと。
だから意固地は「意」織が凝り「固」まって「地」面から離れない。とでも言うのでしょうか。

よくプライドは捨てた方がいいなんて言われたりもしますが、僕はそうは思いません。そうではなく、プライド(自分の考え方)は持ち得たまま、人のプライド(他人の考え方)を受け入れられるような人になることが高尚な考えだと思います。
捨てることなんてやろうと思えば簡単でしょうから。考えもせず諦めればいいだけですから。
人と自分の考えの相違に驚き、喜び、苛つき、そしてそれについて考え抜くことに人間らしさがありそうです。

まぁプライドを訳せば「誇り」になるのだからそもそも当たり前かもしれませんが、僕自身、よく忘れがちなのでここに記します

組織

高校を出て、大学受験に失敗し、親に頭を下げて浪人させてもらって、志望校に合格し、気がつけば就職活動を終えて、魔都「東京」で会社という組織の構成員として働いている。

 

きっと、大なり小なり異なっていても多くの日本人が歩むルートだろう。

以前までは(10年から30年ほど前だろうか)当たり前に考えられてきたルートだ。

優秀な大学に行き、大企業に入る。「成功者の道」である。

 

が、しかし、、、、

 

勘の良い読者の方ならこの後の文脈がどのように続くのか大方、想像が付くだろう。

現代では腐るほど散見される内容だからだ。

 

答えは下記のようなものだ。

「現代では多様な働き方があり、組織のために勤め上げるのではなく、自身のキャリア形成の為に転職することも独立することも一般的になってきている。」

 

ただ、私は会社に入って、世の中の流れが変わってきていると言われているほど、自分の会社にもそのような流れがあるとは感じない。

確かに、辞めていく人はいる。ただ、それが他社よりも多いのかは不明だ。

 

うだうだと不満を感じながらも結局組織に残る人も確実にいる。

組織で出世するために上司との面倒な呑みに参加する若手もいる。

個人でなく組織にスポットライトを当てた場合「若手が会計をする」「居酒屋の幹事をするのは若手」「出社推進」等、古い慣習が残り過ぎているように感じる。

弊社が100年以上の歴史を持っていることにも起因するのかもしれないが。

(古い慣習が残っている理由の説明以外の他意はないことをご容赦頂きたい。)

 

ただ、誤解しないで頂きたいのは私はここで会社や社員への不満を書き綴りたい訳ではない。

肝心なのは、時代の流れでも会社の風土でもない。

結局、何かを変えるのは自分なのだということだ。

 

いつの時代でも何かを変えるために行動してきた人は存在するし、逆もまた然りである。

環境が人を変えるのは確かにそうだとは思うが、その環境に飛び込めるかどうかは自分次第ではないだろうか。

私は変わっていきたいと思う。

そう考えているうちはガソリンがあるのだ。後はアクセルを踏むか否かだと考えている。

会社に大きな不満はない。ただ、やはり組織で働くことに違和感を感じることは多い。

 

だから行動して何かを変えたい。

それだけです。

 

詰まるところ、変えられるという確証を得たい。

「若いなぁ、血気盛んだなぁ」と感じられる方もいるかもしれない。

そう、若いのです。

だからこそ、まだ何にでもなれるのである。

そう言い聞かせて、邁進していきたい。

 

気持ちが入ったことで少々、文章に乱れが出てしまった。

失礼いたしました。

そこら辺の悶々としている若者の「決意表明」とでも受け取って頂ければと思います。

 

 

 

皆さん早起きは得意でしょうか。

私は得意でも苦手でもありません。

夜早く寝れば朝は早く起きられるし、逆もまたそうです。

 

得意か得意でないかはさておき、朝早く起きるのは結構好きです。

それだけで1日が長くなりますし、特をした気分になるからです。

「早起きは三文の得」とはよく言い得たものです。

では、ここでいう三文とは一般的に何なのか考察してみます。

 

一つ目は既に挙げましたが「時間」だと思います。

早起きすれば必然的に活動している時間は増えます。

言うなれば、本来寝て過ごしていたずの時間に何か別のことが出来るボーナスタイムのようなものです。

音楽を聴くも良し、読書に勤しむのも良し。その時間の使い方は人それぞれです。

何かひとつでも自分にとってプラスになることを行えた場合、その時間は有意義だったと言えるでしょう。

 

二つ目は「健康」ではないでしょうか。

朝早く起きて、日光を浴びます。体内時計がリセットされ気分が晴れます。

余談ですが日光浴は朝のうちに行うのが効果的らしいです。

正午を過ぎてからの日の光には紫外線が多分に含まれてしまうことが原因のようです。

 

話を戻します。

朝早く起きることで、必然的に夜も早く眠くなってしまいます。

結果的に、早めに寝て、早く起きるというリズムが身につき、忙しい社会人も充分な睡眠を取られるということになります。

 

以上、二点のメリットは想像に難くないと思います。

 

では、三点目は何なのでしょうか。

これが意外とすんなりとは出てきません。

早起きに成功するとします。

「あー、早く起きられたし、日光でも浴びるか。夜もぐっすり眠ることができるだろうなぁ。」

で今のところは留まってしまっております。

主観ですが三文とは言いつつも普遍的には二つしかないのではないでしょうか。

三つ目は自分次第で感じられるか感じられないかが決まる気がします。

要は、早起きによって得た「時間」と「健康」をどう活かすかの問題ではないでしょうか。

それを活かして、何か行動することができれば「早起きは三文の得」が成立致すのです。

早起きしたとしても、ダラダラと過ごし続けてしまっては、早起きしたにも関わらず、だらだらしてしまったという罪悪感に苛まれるかもしれません。

だからこそ、少しでも早く起きられた際には何か行動を起こしてみたいものです。

朝はそれを普段より促してくれる気がします。

 

まぁ、そもそも何にもしなくても、何かできることはないだろうかと考えている時点で三つ目の得を得ているのかもしれませんが。

 

 

嗜好品

「嗜好品」というと何を浮かべますか。

私は酒と煙草を思い浮かべます。

きっとそれは私が経験したことのある嗜好品だからだと思います。

 

嗜好品とネットで調べると「栄養摂取を目的とせず,香味や刺激を 得るための飲食物」と表示されます。なんとお茶も嗜好品の一種となるのです。

ここ最近で衝撃だったことランキング上位3位に入ります。

残り2つは非公開です。

 

私は酒を呑みます。煙草は1ヶ月ほど吸っていませんが、学生の頃はよく吸っていました。

ただ、酒も一人では呑みません。

人と一緒に呑みます。人と一緒に呑むのが好きなのです。

第一、お酒を美味しいと思ったことはほとんどありません。コーラの方が美味しいです。

ジンジャーエールで割ると大概美味しいですが)

 

煙草もそうです。

煙草はひとりで燻らすことも少なくありませんが、基本的にたくさんの本数を吸うのは人と一緒にいる時です。

要する何が言いたいかというと私は嗜好品そのものが好きなわけではなく、その時間を人と共有するのが好きなのかもしれません。

朝まで遊んだ後に眠い眠いと言いながら吸った煙草、テスト終わりに浴びるほど呑んだお酒、油の匂いの充満する居酒屋でしょうもない話をしながら雑に吸った煙草。

そういった「時間」そのものが私にとっての嗜好品なのかもしれません。

 

私にとっての嗜好品の答えが出たので今日はここまで。